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Music People vol.21 飯島 泉

身近にある出逢いやキッカケやチャンスをしっかり掴んでいかなくちゃいけない。

吹奏楽を志す若者たちへ

アタシは『北海道』生まれの『九州』育ち。
幼少期を『北海道』で過ごし、父の転勤で、大自然『大分』で子供時代を過ごしたわけ。
大らかであったかい両親の元、5歳下の弟と共に、山あり海あり、とにかくヤンチャに育ったアタシ。

アタシは覚えていないけど、アタシの3歳の頃の話。
お隣の友人の家にピアノがあって、毎週その子の自宅へ先生がやって来てLessonがあったらしいの。
毎週その時間になると、アタシはお隣へいそいそと出かけ、Lesson見学へ行っていたそうなんだ。
両親は音楽には無縁だったから、ウチにはピアノなんて勿論なかったしね。
あまりにも熱心に通うアタシをむげねぇ(←大分弁で「気の毒」の意味)と思ったお隣のオバちゃんは、母に言ったらしい。
「泉ちゃん、ピアノ好きなんじゃない?やらせてみたら?」
そして我が家にやって来た!
ピアノじゃなくって『オルガン』が!笑。
知人に貰ったらしいけど、何故カワユイ娘がこんなにもピアノをやりたかっただろうに買ってあげなかったのか、今だに謎である。
そして、はじまったアタシの『音楽LIFE』!
子供心にめちゃくちゃ嬉しかった覚えがある。
毎日、毎日、来る日も来る日もオルガンを弾いた。
その後、ピアノを買ってもらって、ちゃんとピアノの先生にもレッスンを受けることになったよ。


中学校に進んでも、吹奏楽部は無かった。
その代わり、決して華やかではない『リコーダギター部』って音楽部があって、そこに入部したアタシ。
小学生時代から縦笛は大好きだったから、ハマった、ハマった!
ソプラノリコーダーだけじゃなく、アルトやテナーや、大きなバスまであってね、親にねだって木製のバスリコーダーを買ってもらったっけ。
ルネッサンス、バロックなんかの音楽の世界を知って、アンサンブルすることが楽しくてね、まさに『笛少女』よ。

ところがさ、事件が起きた。
アタシが中学三年生の時に『吹奏楽部』ができて『リコーダギター部』は廃部になり、顧問も部員も吹奏楽に移籍した。
毎日のように楽器屋さんからピカピカな楽器が届いて、地味な部室はどんどん華やかになっていった。
近所の高校生が教えに来てくれて、その音の華やかさに腰を抜かした!
中でも『サックス』のルックスに惚れ込んでしまったアタシは『テナーサックス』担当になった。
1年間だけだったけど、楽しかったなー。

ま、中学3年生と言えば高校受験が控えている訳で、進路をどうするのか考えなければいけない時がやってきた。
『音楽』がやりたかった。
ずっと習ってきたピアノで音大に行こうとなんとなく考えていた。
でも、サックス?リコーダー?
むしろ、楽器はなんでも良かったのかもしれない。
でも『吹くこと』がとにかく楽しかった。
人間が息を吹き込んで、それが音になるって、音楽になるってことが、とんでもないくらい魅力的に感じた。
顧問のK先生に相談したら、面白いことを言ってきた。
「クラリネットをやったらどう?」
「同じリード楽器だし、サックスは歴史の浅い楽器だし、君はクラシックも大好きだから、きっと古い曲もやりたいでしょう?」
えー?!そなの?!
そんなものなの?
いーかも、クラリネットもやってみたいしー!
そんな訳で、先生のアドバイス通りにクラリネットをはじめ、高校へ進学し本格的に勉強をはじめたアタシでありました。
人生において、ちょっとしたアドバイスは人生を大きく変えてしまうこともある訳で、この時のK先生との出逢いはアタシの人生の宝物であります。


さーて、高校生になったアタシは、またまた生涯の師匠と出逢った。
以前都内のプロオーケストラでホルンを吹いていたという、高校の音楽教諭S先生で、吹奏楽部の指導もされていた。
この3年間、音楽の事について人生が変わるくらい多くのことを教えられた。
吹奏楽部にも入って、未だ数ヶ月しか触っていないクラリネットを持って、本格的な吹奏楽部生活をスタートしたわけ。
『吹奏楽コンクール』という甲子園の様な存在を知り、先輩後輩と言う小さな社会を経験し、誰もが経験する人間関係の小さな揉め事も、一応悩みながら乗り越えてきた。
しかしながら、音大受験を控えていたため、吹奏楽も半分、受験勉強も半分の生活。
正直、田舎で勉強するのは大変で、飛行機に乗って東京へレッスンに通ったり、音楽大学へ入学しても、学費の他に生活費だの仕送りだの、普通の会社員だった両親はよく頑張ってくれたものだと思う。
どこの親も子供には何でもしてあげたいって思うんだろうけど、親って本当に凄いね。
今の自分に、こんな事ができるだろうか?
父よ、母よ、感謝!感謝!

ま、そんな訳で音楽大学に入学し、九州から上京し、花の東京生活がスタートした。
ここからは割愛ね。
卒業後1年間は、某楽器店で働いていた事もある。
1年後、たまたまオーディションがあって合格した『シエナ・ウインド・オーケストラ』で、今もなお、プロのクラリネット奏者として吹奏楽に関わっている生活。
アタシ、自分の歴史をこうして知らせたかったんじゃないよ。
改めて振り返ってみると、チャンスやキッカケって凄いねってこと。
小さなきっかけや、何気無い一言で、人生が180度大きく変わるかもしれないってこと。
チャンスはそうそうやって来ない、今、その時だけかもしれない。
だからね、若人諸君、身近にある出逢いやキッカケやチャンスを、ボケーっとしないで、しっかり掴んでいかなくちゃいけない。

例えばさ、、、

★これ、前嫌いだったけど美味しいかな、どうしようかなって迷ったら、絶対食べてみたほうがいい!
今食べたらめっちゃめっちゃ美味しいかも!好きになるかも!

★このコンサート行ってみようかな、どうしようかなって迷ったら絶対行ったほうがいい!
そのコンサートがきっかけで、あなたの人生が変わるかも!

★遠い外国に行くの怖いな、言葉通じるかな、やっぱりやめようかな、迷ってる場合じゃない、絶対行ったほうがいい!
知らない国を見るだけであなたの価値観や人生観が大きく変わる!


『運も実力のうち』って言うけどね、運を手に入れたければ、いろんな理由を言ってじーっと待っていちゃダメ。
実力があっても、運が無いんだよね、っていうのも言い訳。
運は自分で掴むものだよー!

『どんなことでも、素晴らしいモノを知らなければ、最低なのかどうかもわからない!』
例えば、美味しいお寿司を食べるとしよう。
普段は廻ってる回転寿司でもいい、でも銀座の寿司屋の名店のカウンターで素晴らしいお寿司を食べる機会があったとしよう。
「お、ロボットが握るいつもの寿司とは全く違う!」
「口に入れた途端、ほろほろと美味しい!」
それはそれは衝撃を受けるはずだ。
ネタもシャリももちろん美味しいけど、カウンターで職人さんと話すうちいろんなことがわかる。
魚には季節があることや、自分の好きなものから食べるんじゃなくって、寿司を注文するにも順番があるということや、寿司屋のマナーもわかるわけだ。
寿司ってのは、なーんて奥が深いっんだってことも垣間見える。
もちろん、値段だって何倍もするわけだけど、ここで自分なりに考える。
この値段なら普段は回転寿司でいいな、この値段ならマグロは回転でいいな、穴子は夏が旬なのに冬にも回ってるのは何故かな、とかね、笑。
これは音楽にも大きく影響するわけである。
兎にも角にも、いいものを知る事は大切であり、いい音楽を知らなければ、悪い音楽もわからない。
若者よ、一度くらいは奮発していいモノを知るチャンスを作ろうではないか!


すべての若者たちへ。
身体と心が健康じゃなくちゃ人生は楽しくない!
私の父がよく『食育』と言っていたけど、栄養のある食事を楽しんで体に取り入れることはとても大切。
人間の身体は食べたものでできるんだもの。
健康じゃなくちゃ、笑顔でいられないし考えることだってできない。
いつもしかめっ面して過ごすより、笑って過ごしたほうが、周りの人だって自分だって何倍も楽しいはずだもの。
だから、栄養のあるものをバランスよく、美味しく食べてね。
その位食事って大切なんだ。


吹奏楽を志す若者たちへ。
日頃、一生懸命に練習していると思うけど、音楽はね、頑張るだけじゃダメなんだ。
『音楽をもっともっと楽しもう!』


★小さなピアノ(p)を出す時、神経質になってビビっちゃうけど、私ならこう考える。
広い野原に居るみたいにタップリと息を吸って、あそこに届けるぞーって目指す場所に息を吹き込んでみよう~ってね。

★本番緊張してどうしようも無くなったら、私ならこう考える。
一度しかない人生、この本番、この時間は一度きり。
緊張してションボリするより、思いっきり楽しもう!

★負けずに頑張るぞ!なんて考えちゃだめ。
音楽は勝ち負けじゃないもの。
格好つける必要も、闘う必要も全くナッシング。
あくまでもナチュラルに、ニュートラルに。
素直に正直に真摯に、作品と向き合うこと。

飯島 泉【いいじま・いずみ】
シエナ・ウインド・オーケストラ
クラリネット奏者

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