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Music People vol.9 熊代 祐子

トランペットと歩む

 

 私は現在、シエナ・ウインド・オーケストラでトランペットを吹いています。コンサートにはたくさんの中高生が聴きに来てくれますが、私も同じように中学、高校時代は吹奏楽部に所属し部活に打ち込み、実り多き青春時代を過ごしました。その頃は将来自分がプロのトランペット奏者になるなんてとても想像がつかなかったものです。そんな私がトランペット奏者になるまでにどのような道のりを経て、何を考えてきたのか少し振り返ってみます。


 小学校4年生の時、学校の金管バンドに所属しトランペットを始めました。その後中学校で吹奏楽部に入部します。ぼんやりと吹奏楽部でトランペットを吹いていましたが、中学校3年生の時に何を思ったか県のソロコンクールに挑戦し、最高位をいただきました。演奏したのはヘンデルの『調子の良い鍛冶屋』です。その時初めてプロのトランペット奏者の方に個人レッスンをしていただいたのですが、それをきっかけにトランペットを吹くことが少し楽しくなってきたのです。

 その後、音楽コースのある高校に進学します。高校時代は全国大会に出場し、マーチングにも取り組みました。高校で出会った友人は今でも頻繁に会うほど仲が良いです(宝物ですね!)。当時は美容の仕事に興味があり、将来はヘアメイクの仕事に就きたいと思っていました。しかし、周りの先生方は私が音楽大学に進学すると思っていたようです。ある日顧問の先生から「レッスンを受けてきなさい」と言われ京都市交響楽団の早坂宏明先生を紹介していただきました。初回のレッスンで先生は「君は天才ではないが、東京芸大に受かる素質は十分にある」とおっしゃいました。高2の終わりです。早坂先生のレッスンはとても得るものが多く、先生と出会えたことが本当に幸せだと思いました。それから私は先生の元へ2週間に1度、レッスンを受けに通いました。そして東京芸大を受験しましたが、その年は合格することができませんでした。

 その後、1年浪人し東京芸大に合格。芸大に入学し、上手な先輩方や同級生に囲まれ練習に励みました。しかし次第に、思うように吹けないことや壁にぶつかることが多くなってきたのです。上手くならなくてはという焦り、思うように吹けないもどかしさ、本当に辛いと思うことが多くなっていたのです。オーケストラのオーディションなども受けず、ただぼんやりと過ごしました。


 そんな中、4年生の前期試験で思い通りに吹くことができ、その頃から少しずつ流れが変わりました。積極的にマスタークラスを受けたり、初めてオーケストラでのエキストラの仕事をいただきました。卒業試験ではジョリヴェの『コンチェルティーノ』を演奏し、YAMAHA新人演奏会への出場権をいただきました。これは本当に嬉しかったですね。ジョリヴェの『コンチェルティーノ』は中学生の時に買ってもらったセルゲイ・ナカリャコフのCDに入っていて、何度も何度も聴いた大好きな曲です。この頃から少しずつプロとして活動することも選択肢に入れ、卒業後の進路を考えるようになってきました。
卒業し生活するにはとにかく仕事をしなければいけない。
仕事をたくさんもらうにはオーディションを受けて人の目に止まらなければ、と考えていました。


 そして卒業した年に受けたシエナ・ウインド・オーケストラのオーディションになんとか合格。一度もシエナにエキストラとして出演したことのない私を合格させるのは非常に勇気が必要だったと思います。暖かく迎え入れてくれたシエナのメンバーに感謝します。


 私が今までトランペットを続けてこられたのは、理解のある家族、気にかけてくださる先生、先輩方、相談に乗ってくれる友人のお陰です。周りの方々に支えられているからこそ、頑張ることができるのだと思います。

熊代 祐子【くましろ・ゆうこ】シエナ・ウインド・オーケストラ トランペット奏者
明誠学院高校を経て東京藝術大学に入学。卒業時に2009年度ヤマハ新人演奏会に出演。
これまでにソリストとして大阪フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、読売日本交響楽団と共演。 トランペットを早坂宏明、杉木峯夫、井川明彦の各氏に室内楽を稲川栄一、板倉駿夫の各氏に師事。 現在シエナウィンドオーケストラ楽団員。

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