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Music People Vol.85 本庄智史

19才ではじまったフランスの生活


 2000年3月13日、もう薄暗くなり始めていた夕方、僕は一人地方列車線「RER B」線のシャルルドゴール空港駅のホームで電車を一本やり過ごしていました。

 初めての一人旅、初めての外国、初めての飛行機が到着した空港で、作りたてのパスポートのチェックを受け、預けた荷物を取り、まだ直通トラムがなかった当時、空港駅行きのバスを探して彷徨い歩き、到着してもチケットの買い方がわからずに駅を歩き回って、ようやく買えた頃には1時間以上経過していました。

 電車の乗り方もわからず、初めてだと周りに知られると危険だと思い、一度様子を見てから乗ろうと決めました。そうしてようやく電車に乗り込み、小一時間、緊張しながらもようやくパリの「Gare du Nord」駅に到着しました。

 母と行った旅行代理店で頼んだホテルはそこからメトロに乗って少し行ったところでした。大きな駅の近くだと安心だと何も知らない僕はそう思い、パリでも特に有色系の市民が多く住む地域のホテルに向かいました。初めて降りた「Parmentier」の駅、もうすっかり夜になっていて、頼りの地図に載っていた目印も見つからず、大きな荷物を引きずって全くの逆方向へ進みました。

 おかしいと気づいて引き返そうとした時、サッカーボールが目の前を横切り、黒人の男の子にフランス語で何かを言われました。おそらくボールを取って欲しかっただけだったと思うのですが、不安の中怖くなって小走りで立ち去りました。くたくたでようやくホテルに到着したのは20 時頃だったと思います。お腹も空いていたと思いますがそれどころではありませんでした。

 笑顔で迎え入れてくれた小さなホテルのレセプションのお兄さんが輝いて見えたのを覚えています。101号室、エレベーターの目の前の部屋、ベッドと小さなテーブルがあるだけのシンプルな空間の空いている場所にスーツケースを置き、ベッドの上に座り込みました。安心と後悔と期待と、いろんな感情が湧き起こって泣いていました。

 そんな感じで僕のフランス、パリでの生活はスタートしました。

 この時はビザを取るための学校、住む部屋とピアノが練習できる環境の確保が目的で、3ヶ月のみの滞在でした。頼る人もおらず、ガイドブックの情報と事前に手に入れたパリ市内の音楽学校のリストだけで他は何も準備らしい準備はしていませんでした。

 先生に直接会いに行き、入学試験も受けずに学校に次の9月から行くことが決定しました。ピアノは学校の近くにあるピアノ店であまり状態は良くなかったけど安く借りられたグランドピアノ、部屋はかなり治安は悪いが家賃が安く音楽が可能な条件だったところに決め、なんとか生活も落ち着いてきました。

 ちなみに、部屋やピアノが見つかるまではパリ市内にある、なぜかスポーツジムの奥にあった練習室を毎日使っていました。部屋に着くまで体を鍛える人や、スポーツをしている人たちの間を通るのは不思議な感覚でした(笑) 

 最初の滞在では友達探しもかねて、語学学校へ通いました。ここも街を歩いててたまたまあった学校に飛び込みで入り、そこにはたくさん日本人がいてびっくりしました。こんなにもパリには日本人がいるのになぜ今まで出会わなかったのだろうと(笑) そこで出会った友人とは今でも仲良くさせてもらっている大事な友達です。

 ここで少し、僕がなぜフランスを選んだのか!というお話。

 当時通っていた音楽塾、のような施設はどちらかといえばドイツ系でした。塾長先生の知り合いの先生もオーストリア人で、年に一度ほど来てました。留学することを決めてすぐの頃、一度レッスンを受けた時も、ウィーンに誘って頂きましたが、それさえも断り、フランスにこだわりました。

 正直なところ、そこまで頑なにフランスにこだわった理由は覚えていません。小さい頃に見た父が行ったパリでの写真から僕の中では外国といえばフランスだったから、フランス語が好きで中学の頃から独学で学んでいたから、それもおそらくあります。

 憧れていたピアニストはロシア人だったからロシア語も勉強していました。でもやはり最終的には直感通りフランスに決めました。フランスの音楽事情も知らずに、つきたい先生も特におらずに、ただただ、憧れの都パリに住んでみたかったから、というのが強かったのかもしれません。

 今思い出しても19 歳の何も知らない子供にとっては大冒険だったと思います。

 それを乗り越え、気がつけばパリに住み始めて20 年以上が経ちました。

 今では教える立場にもなり、演奏活動も並行して行っています。コロナ禍で演奏活動は控えてましたが、最近はパリを中心に年に数回のソロ演奏会を行なっております。自分の好きなフランス系のドビュッシーやフォーレ、ラヴェル、ロシア系ではラフマニノフやスクリャービン、プロコフィエフたどの作曲家の作品を得意としておりますが、ロマン派や20世紀初頭のジャズ系の作品も取り入れたカラフルなプログラムを心がけています。

 当時の思いを忘れずに、今後も努力するということを怠らず、このフランスで前に進み続けたいと思います。

  

「父が1982年にパリに行った際のエッフェル塔の写真。この写真が僕が渡仏のきっかけになりました」

 

 

本庄智史【ほんじょう・さとし】 ピアニスト

1981年、大阪府出身。2000年、単身フランスに渡り、エコールノルマル音楽院にてフランソワーズ・ビュッフェ氏、セルゲイ・マルカロフ氏のクラスに入る。その後ロマンヴィル市地方音楽院にて、ジェローム・グランジョン氏の元ピアノのディプロムを取得。
同時にパリ区立音楽院にてエリック・タンギ氏に作曲を師事。
その他これまでに、イェルク・デームス、永井一、クロード・スィメルマン、セルジュ・ブラン、パドリグ・フォーレ、ジェローム・ヴァンヴィンスヴェルジュ、ジャック・サン=ティヴ、アントニー・ジラール各氏に師事。現在、クラシックに限らず、ジャズの分野でもフランスと日本で演奏活動中。初のオーケストラとの演奏は2007年、エウフォニカ管弦楽団と。

 

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