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Music People vol.46 村中秀立

「吹奏楽部に入部しない?」のひと言が ・・・


 私とテューバの出会い。それは中学1年生の秋、一緒に登下校をしていた吹奏楽部の友人から「吹奏楽部でテューバの1年が辞めちゃったから村中入らない?」といきなりの誘われ!!今思うとこのひと言がこの後の運命を決めたと言っても過言ではない気がします。この一言が無かったら、素晴らしい先生や先輩方と出会うこともなく、当然今の私も違う生活を送っていたことでしょう。

 当時入部していた写真部が(今も写真撮影は趣味ですが)、今ひとつ自分に合っていないような気がしていた時にこの誘い。すぐに「あぁ、いいよ」と返事をしていました。でもテューバなB♭が出た時は、目の前に見えているすべての物がすごく揺れたのを今でも憶えています。この日から音楽室の前にある大きな鏡の前が私の練習場所になりました。

 なぜかこのテューバという楽器とは相性がよく、楽器が吹きたいがために学校に通っているようになり、気がつけば中学3年間「無遅刻・無欠席・無早退」で皆勤賞をいただきました。

 高校でも吹奏楽部に入部し、朝・昼・放課後と時間があれば楽器を吹き、My楽器も中古で手に入れ、それこそ楽器を吹くために学校へ通っていました。

 卒業生には、当時「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」テューバ奏者(現・指揮者)の大澤健一さんがバンド指導に来られていて、そんなことから弟子入りし、国立音楽大学テューバ専攻に入学しました。指揮者の今村能さんも卒業生としてバンド指導に来られていました。


 大学のテューバ研究室には高校の先輩である野本和也さん(東京吹奏楽団テューバ奏者)が4年生でいらして、本当にいろいろとお世話になりました。今思い返すと素晴らしい環境の中で音楽に携われていたように思います。

 たぶん身体が大きいからテューバに誘われたのでしょうが、自分としては始めた頃からなぜか気に入っていました。初心者の頃は鈍重で野暮ったい演奏しかできないけれど、上手く吹けるようになればオーケストラを一人で支えることもできたり、軽やかなメロディーを演奏することもできます。上手くなればなるほど迫力ある音から繊細な音までと表現の幅がとても広い楽器なんだと高校生の時に気がつき、それからはより一層テューバにのめり込んでいったように思います。

 教師になってからは、同じ川崎市立教諭に中学・高校の大先輩で当時神奈川県吹奏楽連盟理事長であった故・山﨑一哉先生がおられました。教育者として、また吹奏楽指導者としてとても尊敬できる方で、公私にわたり大変お世話になり、私の目標でもありました。



 改めて思い出してみると、中学生の時にかけられた「吹奏楽部に入部しない?」のひと言が私の人生を決めたように思います。彼からすれば部員勧誘のためにかけた言葉だったと思いますが、そのひと言が音楽とは無縁だった私を「音楽の道」へと導いてくれたのです。最初の何気ない偶然が素晴らしい先生や先輩に出会うきっかけをくれ、今の私があるように思います。

 これからも偶然の出会いを大切にしていこう。こんなにたくさんの生徒たちの人生、ほんの一瞬にでも関われたことに感謝しよう。音楽を生涯の楽しみにしてもらえるような活動をしていこう。これからも音楽を通して、一人ひとりの生徒と向き合っていこう。

 生徒にも一つひとつの偶然の出会いを大切にしてもらえるような毎日を送ってもらいたい。それがこれからの人生をより豊かなものにしてくれるから。そんなことを考える今日この頃です。



村中秀立【むらなか・ひでたつ】
川崎市立川崎総合科学高校吹奏楽部 顧問
神奈川県吹奏楽連盟理事
川崎吹奏楽連盟副理事長

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