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Music People vol.28 梅津 有希子

音楽の力でエールを送るということ

 わたしの趣味は、高校野球のブラバン応援を聴きに、地方球場や甲子園に行くこと。普段はライターとして雑誌やwebメディアでさまざまな記事を書くのが仕事だが、2016年夏、趣味が高じて『高校野球を100倍楽しむ ブラバン甲子園大研究』(文藝春秋)という本を出版したほか、今夏は、CD&楽譜の「ブラバン!甲子園」シリーズ10周年を記念した、「ブラバン!甲子園Ⅴ」(CD/ユニバーサルミュージック、楽譜/ロケットミュージック)で、選曲・監修を担当させていただいた。
 野球に縁のなかったわたしが、ここまで応援にハマるようになったきっかけのひとつに、小学生の頃に演奏会で聴いた、「アフリカン・シンフォニー」がある。


吹奏楽漬けのブラバン少女時代

「中学生になったら吹奏楽部に入ろう」。そう決めたのは、北海道芦別市に住んでいた、小学5年生の頃。2つ上の姉が所属していた中学校の吹奏楽部の演奏会で「アフリカン・シンフォニー」を聴き、アフリカのサバンナを思わせるパーカッションの力強いリズムや、象の雄たけびを彷彿とさせるホルン、トロンボーンのグリッサンドなど、子ども心に「カッコいいなぁ……!」と思ったことを、鮮明に覚えている。
 小学校卒業後、家の事情で札幌に引っ越すことになるのだが、入学した近所の平岡中学校が、全日本吹奏楽コンクールに出場するような強豪校。姉が中2まで所属していたB編成(定員35人以内)の吹奏楽部は、当時は北海道大会がゴールだったのが、3年の時に転入した平岡中でいきなり全国大会に出場し、生まれて初めて、“吹奏楽の甲子園”こと、「普門館」という存在を知ったのだ。
 銀賞をとって東京から戻り、「普門館、すごかったよ! ものすごく大きくて、床が黒くてね……!」と、興奮しながら話す姉の姿を見て、「わたしも絶対普門館で吹く!」と心に決めた。14歳の自分が掲げた、人生初の目標だ。

 毎日毎日、自分と同じくらいの背丈の難しいファゴットを必死に練習する日々。当時流行っていたバンド音楽やJ-POP(という言葉もまだなかったが)には目もくれず、NHK FMの「ブラスの響き」や、土気中、天理、淀工、習志野高校などの名演奏のカセットテープを繰り返し聴く吹奏楽漬けの日々。ひたすら普門館を目指し、中2で臨んだ北海道大会。上位2校が全国大会に進める中、結果は3位のいわゆるダメ金で、会場の外で夜遅くまで号泣した。今振り返ってみても、過呼吸になるくらい人生で一番泣いたのは、間違いなくこの日だろう。
 新興住宅地にあった平岡中は、1学年12クラスもあるマンモス校だった。中3になったわたしは新設校に移らなくてはいけない区域に住んでおり、平岡中に残るべく親にも相談していろいろな方法を模索したが、結局どうすることもできず、仲間と別れて新しい中学校へ通うこととなる。
 同年、平岡中は前年のリベンジで晴れて全国大会へ。わたしは親に頼み込んで、飛行機でひとり東京に飛び、普門館の客席から仲間の演奏を固唾を飲んで見守った。去年まで一緒だったみんなは、あの黒光りの床で堂々たる「サロメ」を演奏し、悲願の金賞。演奏後の記念撮影では、みんながユニホーム姿で晴れやかに楽器を掲げる中、「うめも入って!」と、メンバーに手を引かれて写真に収まったわたしひとりだけ、私服姿。「絶対にいつかここで吹く」と、再び心に誓い、高校の部の強豪である札幌白石高校に進むことを決意する。それくらい、生で体感した普門館には、とてつもなく心が揺さぶられる、圧倒的なパワーがあったのだ。


普門館を彷彿とさせた、人生初の甲子園

 かつて、全日本吹奏楽コンクールでは、「5年連続金賞を受賞したら、翌年招待演奏」という、いわゆる「5金制度」があった。当時の白石高校吹奏楽部はこの5金がかかっており、顧問(当時)の米谷久男先生は「最高の演奏ができれば、それが何よりも素晴らしい」と、賞にこだわる先生ではなかったが、自分たちの期や前後の世代は、入部した瞬間から5金に向かって突き進むという雰囲気だった。
 わたしは2年と3年の時にコンクールメンバー入りすることができ、それぞれバレエ音楽「ガイーヌ」と「吹奏楽のための神話」を演奏。いずれも金賞を受賞することができ、飛び上がるほどうれしかった一方で、正直ホッとしたという気持ちのほうが大きかった。5金世代のあのたとえようもないプレッシャーは、毎年周囲から金賞を期待されている学校の先生方や生徒さんなら、きっと共感していただけるのではないだろうか。皆さんきっと、大変な重圧の中で、最高の演奏を目指していることと思う。

 話を野球応援に戻そう。このように、野球に特別興味があったわけではないわたしだが、高校時代、一緒に普門館に出ていた天理、愛工大名電、常総学院、関東一が、甲子園でも常連の野球の強豪校と知ったのは、ほんの数年前のこと。高校野球を見る習慣がなかったため、まったく知らなかったのだ。

 2016年夏、土屋太鳳と竹内涼真主演で実写化された『青空エール』という作品がある。甲子園を目指す高校球児と、普門館を目指す吹奏楽部女子による青春部活ストーリーで、モデルになっているのが、母校の札幌白石ということもあり、わたしは原作の漫画と映画の両方で監修を務めた。2013年、漫画の取材で作者の河原和音先生と生まれて初めて甲子園に行く機会があり、現地に立った瞬間、その唯一無二の雰囲気に圧倒された。

「これが甲子園か……!」

 初めて普門館を目にした時と、同じような衝撃を受けた。“聖地”と呼ばれる全国の舞台は、どちらも同じような空気に包まれていた。

 甲子園の外周でふと耳をすますと、「栄冠は君に輝く」のリハーサル演奏が聴こえてきた。野球音痴のわたしでも知っている曲だ。音に吸い寄せられるようにふらふらと近づいてみると、指揮者を見て驚いた。淀川工科高校の丸谷明夫先生が、指揮棒を振っているではないか。
 白石高校時代、米谷先生は合奏中、いろんな話をしてくれた。全国大会に出場する学校の先生たちは、けっこう交流があったようで、「丸ちゃんがね」と、丸谷先生とのエピソードをしょっちゅう話してくれていたこともあり、我々OB・OGは皆、淀工と丸谷先生が大好きだ。そんな、昔から一方的に存じ上げている丸谷先生が、甲子園で入場行進の指揮をしていたとは、まったく知らなかった。そして、開会式のファンファーレを担当しているトランペットとトロンボーンのファンファーレ隊が、淀工吹奏楽部の生徒たちということも、初めて知った。テレビ中継では、指揮者の名前や学校名までは紹介されないから、現地に行かないと、この事実を知ることもなかったであろう。
 ちなみに、開会式の演奏は、大阪の高校と兵庫の高校が毎年交互に担当している。わたしが取材に行った年が、たまたま大阪の年だったのだ。

 丸谷先生が指揮を振る開会式のあとに観戦した試合は、たまたま吹奏楽の強豪でもある愛工大名電だった。白石高校時代、野球部があまり強くなかったこともあり、わたしは野球応援の経験が一度もない。吹奏楽部自体も、「野球応援よりもコンクールの練習がしたい」という雰囲気だった。そんな環境で育ったわたしは、灼熱のアルプススタンドで名電吹奏楽部が懸命に演奏し、音楽の力で選手にエールを送る姿に心を打たれた。残念ながら名電は負けてしまったのだが、吹奏楽部の子たちが泣きじゃくりながらスタンドを後にする姿に衝撃を受けた。コンクールで忙しいこの時期に、熱心に野球部の応援をしているという現実を、初めて目の当たりにしたのだ。

 ……自分の知らない夏が、そこにはあった。


かつての同志と、アルプススタンドで再会

 初めて甲子園の雰囲気を体感したわたしは、急激に野球応援にのめり込み、習志野の美爆音「Let’s Go! ならしの」を聴きに千葉マリンスタジアムへ、埼玉栄の「オーメンズ・オブ・ラブ」を聴きに県営大宮球場へ、天理の「ファンファーレ」を聴きに甲子園へと通うようになった。自分が一緒に普門館に出ていた学校が、どんな応援をしているのかとても興味深かったのだ。
 球場に通ううちに、それまでまったく知らなかった拓大紅陵(千葉)や浦和学院、花咲徳栄(ともに埼玉)など、カッコいいオリジナル応援曲を持っていたり、曲のレパートリーが豊富で、野球部の振り付けがキレッキレだったりと、学校ごとにさまざまな特徴があることを知り、さらにのめり込んでいった。どうしても甲子園のアルプススタンドで応援してみたくなり、花咲徳栄吹奏楽部にお願いして、タンバリンで参加させてもらったこともある。
 そして、小学生の頃に姉の吹奏楽部の演奏会で聴いた「アフリカン・シンフォニー」がなぜか野球応援で大人気で、「なんでみんなこんなにアフリカンをやるんだろう」とずっと疑問に思っていたところ、80年代に智弁和歌山が広めたということを知り、曲の由来やエピソードにも興味を持つようになっていった。ヒットが出たり、点が入った時に多くの学校が演奏するおなじみのファンファーレは、実は天理のオリジナル曲。子どもの頃から憧れていた名門・天理高校吹奏楽部は、野球応援界でもレジェンド的な存在だったのだ。拙著『高校野球を100倍楽しむ ブラバン甲子園大研究』では、多くの吹奏楽関係者に取材を重ね、このような野球応援に関する謎やオリジナル応援曲などを徹底的に研究し、解説している。

 甲子園では、うれしい再会もあった。数年前、関東一のアルプススタンドに行ったときのこと。今は共学の同校だが、昔は男子校で、スタンドに同世代と思われる吹奏楽部OBの姿をみつけて話しかけてみたところ、やはり同じ年に普門館に出場していたということが判明。「おー! 白石!」とがっちり握手をし、思い出話に花が咲いた。あの頃一緒に全国で切磋琢磨した仲間たちは、大人になった今、同校名物「西部警察パート2」のテーマをアルプススタンドで演奏し、後輩にエールを送っている。
 学校は違えど、高校卒業後、お互いにさまざまな経験を経て、今こんな人生を送っているのだなぁ……と、勝手に感慨深くなってしまった。


音楽の力で、エールを送ることの意義

 野球部員に取材をすると、「吹奏楽部の応援は、すげー力になります!」「バッターボックスに立って自分の応援曲が聴こえると、気持ちが奮い立つ」という感想が目立つほか、「Youtubeでいろんな学校の応援をチェックしている」という球児も多く、吹奏楽の応援は、確実に彼らに勇気を与えている。そして、「吹奏楽部が応援に来てくれるとうれしいし、ありがたい」と声を揃える。高校時代、応援経験のなかったわたしは、音楽にこのような力があることを知らなかった。
 野球応援にハマること数年。気がつけば、コンサートホールよりも、球場に足を運ぶ回数のほうが、はるかに上回っているこの頃である。


 夏の球場は暑いし、コンクールも近いし……といった事情で、応援に積極的になれない吹奏楽部の気持ちもわかる(自分もそうだったので)。でも、「音楽の力で誰かを応援する」という経験は、吹奏楽部員にとっても得られるものが大きいということを、スタンドで見ていて強く思うようになった。勝った喜びや負けた悔しさ、そして、心をひとつにして選手たちを応援するというこの尊い経験が、また新たな音楽につながっていくし、自分の人生の糧にもなるのではないだろうか、と、心底思う。

 コンクールやマーチングの大会は、当然ながら審査がつきものだが、野球は勝ち負けがはっきりしているのも、スッキリしていていいなと思う。

今年もまた、熱い夏が始まった。

梅津有希子氏監修

ブラバン!甲子園V【10周年記念盤CD】


●アルバム紹介●
球夏到来!高校野球の応援曲を集めたCD「ブラバン!甲子園」の10周年記念盤が登場!
“歌がうますぎる女子高生"鈴木瑛美子がゲスト参加し「栄冠は君に輝く」を歌唱!

同CDは2007年6月に第1作が発売され15万枚を超える大ヒット。高校野球に「応援ブラバン」ファンという新しいジャンルの魁ともなった作品。これまでにオリジナル・アルバム4枚、U-18シリーズ(柏高校、大阪桐蔭が演奏)3枚、スピンオフ(東京六大学編他)2枚、ライブ盤1枚、編集ベスト盤5枚の計15枚がリリースされた。

通算16作目となった本作では10周年記念に相応しく新旧ブラバン応援曲39曲を網羅。選曲・監修・コール掛け声指導に「ブラバン!甲子園大研究(文藝春秋社刊)」の著者で高校野球ブラバン応援研究家の梅津有希子が参加しパワーアップ。

定番曲ではアフリカン・シンフォニー、サウスポー、紅、SEE OFF、狙いうち等、先日放送された「夏のアメトーーーーク 高校野球大大大大好き 栄冠は君に輝くSP!!」内で紹介された「高校野球応援曲20世紀編TOP10」中、9曲を収録!「アゲアゲ・ホイホイ!」と大声で連呼する、ここ最近の高校野球応援のトレンド、サンバ・デ・ジャネイロのアゲアゲ・ホイホイVersionも完全収録!

又、同番組の「21世紀編TOP10」コーナーで紹介された、冒頭の力強いコールが印象的のSHOW TIME、千葉県以外でも支持されているモンキーターンやスピードスターの呼称で知られる千葉ロッテマリーンズの応援曲、千葉チャンテ3連発等の最新人気応援曲も網羅。さらに野球ゲームの超定番「実況パワフルプロ野球(通称:パワプロ)」に、若い世代に支持を集める「モンスターストライク(通称:モンスト)」のテーマ曲を収められた。ジャケットにはこのゲームのキャラも登場。

他にも昨年夏の地方大会を最後に廃部となったPL学園野球部にオマージュを込め、かつてアルプス・スタンドを沸かせたPL学園の伝統の応援曲、ウィニングとヴィクトリーの2曲。高校野球ブラバン応援曲の元祖でもある東京六大学野球の応援曲6曲も収められている。

ゲストにはポテトチップスのCM歌唱で、いちやく有名になった“歌がうますぎる女子高生"鈴木瑛美子が参加。4月9日に東京・NHKホールで行われたブラバン!甲子園10周年記念ライブのオープニングでも歌った栄冠は君に輝くを歌唱。

CDブックレットには梅津有希子と高校野球大好き芸人・いけだてつやのふたりがブラバン愛に満ちた11000字の収録曲解説「ブラバン!放談」も収録!ジャケットは第1作以来、全ての表紙を手がけてきた漫画家・柏木ハルコの書きおろし。


梅津 有希子【うめつ・ゆきこ】
編集者・ライター。高校野球ブラバン応援研究家。『青空エール』(作・河原和音)監修者。1976年北海道芦別市生まれ。札幌市立平岡中学校、真栄中学校、札幌白石高校時代に、吹奏楽に熱中する。
卒業後、ヤマハに入社し、札幌店で管弦打楽器販売業務に従事。その後FMラジオ局、IT企業、編集プロダクションを経て独立。現在はライターとしてさまざまなメディアに執筆するほか、野球応援や発信力に関するトークイベントや講演会などで発信することを生業としている。
著書に『高校野球を100倍楽しむ ブラバン甲子園大研究』(文藝春秋)、『終電ごはん』(幻冬舎)、『だし生活、はじめました。』(祥伝社)などがある。

公式サイト umetsuyukiko.com
Twitter @y_umetsu
Instagram @y_umetsu

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