Music People Vol.75 坂井貴祐
私と吹奏楽
こんにちは。作曲家の坂井貴祐です。普段は主に吹奏楽やアンサンブルを中心とした作編曲を行っています。ロケットミュージックからもたくさん楽譜をリリースいただいているのでぜひチェックしてみてくださいね。
さて、このコラムでは私と吹奏楽との関わり、そして人生の転機になった出来事をいくつか振り返ってみたいと思います。
【-----吹奏楽との出会い-----】
私が吹奏楽と出会ったのは小学校4年生の時。下校時間を過ぎても煌々と明かりのついている音楽室、そこで楽器を吹いている上級生の人たちの姿が妙にかっこよくて、部活動がOKになった4年生になるのと同時に吹奏楽部に入部したのがきっかけです。当初はトロンボーンを希望していましたが、いろいろな楽器を試して最終的にはテューバに。当然ながら、はじめは全く楽譜も読めず、音も出ない状態からのスタートでしたが、先生(笹本裕一先生)がユーモアを交えながら教えてくれていたので、毎日が楽しかったことを覚えています(風邪を引いて学校を休んだ日でも、親に「部活動にだけは行きたい!」と訴えたほど)。休みの日にはその先生の家に遊びに行っていろいろなクラシック音楽を聴かせてもらったりもしましたが、「こんなかっこいい曲があるんだ……」とワクワクしたり、「この指揮者だとまた違うよ」と同じ曲を聴き比べさせてくれて驚いたり、貴重な音楽体験がたくさんできました。
その後、中学校の3年間も高校最初の2年間も吹奏楽部でテューバを吹いていましたが、変化があったのは高校3年生の時。当時所属していた吹奏楽部には固定の指導者がおらず(音楽の先生は合唱部の顧問)、毎年OBの方に合奏の指揮・指導をお願いしていたのですが、3年生の時はそのOBの方の都合がどうしてもつかず、「やばい!このままではコンクールに出られない!」という事態に陥ったのです。そこで白羽の矢が立ったのがなんと私。楽譜が全く読めなかった小学校時代から時を経て、高校の時には「かっこいい曲」のスコアを見るのが好きな学生へと変わっていたのですが、「スコアを読めるなら指揮してよ」と、1年間、学生指揮者を任されることとなったのです。なかなかのプレッシャーでしたが、部内で目標としていたことも一応クリアすることができ、なんとか1年やり通すことができました(※)。
【-----作曲の道へ-----】
上記のように小学校から高校まで吹奏楽部に所属していましたが、そこでいろいろな曲に触れているうちにいつしか「自分でもこういう曲を書けるようになりたい」と思いはじめ、作曲の道を志すようになりました。尚美学園短期大学ではアカデミックな作曲を学び、その後進学した、大学3・4年次相当のコースがある東京ミュージック&メディアアーツ尚美では、より実践的なものを学びましたが(吹奏楽やビッグバンドの作品を書き、実演・レコーディングしてもらう授業もありました)、ここで佐藤正人先生に出会えたことも大きな出来事でした。吹奏楽に関するさまざまなお話やアドバイスをたくさんいただくことができましたし、卒業謝恩会の時にサラッと言われた「君とは今後も会えそうだね」という言葉にどれだけ勇気づけられたか、わかりません。
【-----ヴァンデルロースト氏への手紙-----】
尚美卒業後何年か経ち、幸いにも作曲家としての活動ができるようになってきた頃、もうひとつ、大きな大きな出会いがありました。作曲家のヤン・ヴァンデルロースト氏との出会いです。高校時代、同氏の『オリンピカ』に衝撃を受け、『マーキュリー』や『プスタ』にハマり、その後も『モンタニャールの詩』などに心を動かされ、すっかり私の憧れの存在となっていたヤン・ヴァンデルロースト氏なのですが、ある時、特別講座のために来日される機会があることを知り、一目お会いしたいとその講座を聴講しに行きました。終了後にはサイン会が開かれ、私も当然それに参加しましたが、そこではサインをいただくだけではなく、「あなたに憧れて吹奏楽の作曲を始めました。あなたの作品を数多く出版しているデハスケ社から出版されるのが夢です!」という手紙と、私が作曲した『アプローズ!』『光の饗宴』のスコア、そしていくつかの音源まで受け取っていただくことができました。忙しい方なのでその後スルーされることも承知の上での行動だったのですが、なんとヴァンデルロースト氏は帰国後にオランダのデハスケ社と交渉し、これら2曲の出版の道筋をつけてくださいました。しかも私にメールで、タイトル:「Congratulations!」、本文:「出版おめでとう!これが国際的な活動の第一歩になるといいですね!」というメッセージまで送ってくださったのです。憧れていた作曲家は作品だけではなく人柄も素晴らしいのか!と大変感動し、深く深く感謝したことを覚えています。
【-----さいごに-----】
さて、スペースの都合でこれまでの経験のほんの一握りしか書けませんでしたが、このように、これまで自分の人生を左右するような素晴らしい出会いがたくさんありました。小学校の時の吹奏楽部の顧問・笹本裕一先生、佐藤正人先生、ヤン・ヴァンデルロースト氏、さらには、今回書き切れなかったけれども、同時期にデビューし、ことあるごとに将来を語り合ってきた八木澤教司氏との出会い、私を応援してくださる方との出会い、今や出版社を立ち上げ日本の吹奏楽界を牽引されている先輩方との出会い……。
改めて、人に恵まれていたなぁ、運が良かったなぁと振り返りながら、それらの方々に少しでも恩返しが出来るよう、これからも日々精進していきたいと思います。
((※)ちなみに、この年に出場した吹奏楽コンクール北海道大会(通称「全道大会」)で審査してくださった方の中に、小澤俊朗先生、木村吉宏先生、佐藤正人先生という、のちに私の作品を指揮してくださる方々が3人もいらっしゃいました(感慨深い……)。あの時いただいた講評は今でも大切にとってあります)
坂井貴祐【さかい・たかまさ】 1977年6月10日、北海道生まれ。 北海道中標津高等学校を卒業後、尚美学園短期大学(現・尚美学園大学)音楽学科作曲専攻を経て東京ミュージック&メディアアーツ尚美 音楽芸術表現コース(現・尚美ミュージックカレッジ 音楽総合アカデミー学科3・4年次)を卒業。 卒業後は大村哲弥氏のもとで約2年間研鑽を積む。これまでに作曲を松下功、大村哲弥、延原祐の各氏に師事。
2000年、「セレモニアル・マーチ」が日本吹奏楽指導者協会(JBA)「下谷賞」(最高賞)を受賞。 同作品は2005・2006年度の中部日本吹奏楽コンクール課題曲にも選定された。2015年開催の第70回国民体育大会「紀の国わかやま国体」および2019年開催の第32回全国健康福祉祭「ねんりんピック紀の国わかやま」では式典音楽(入場行進曲)を全曲担当。作編曲作品の多くは、ブレーンミュージック、CAFUA、デハスケ、フォスターミュージック、ロケットミュージック、ウインドアート出版、ウィンズスコア等から出版 またはレンタルされている。21世紀の吹奏楽“響宴”実行委員。 URL:http://www.sakai-takamasa.com/ |